監視報告 No.28 2021年1月13日
§「条件を付けずに首脳会談を目指す」日本政府の北朝鮮政策には、首尾一貫した政策メッセージと平壌宣言の正しい理解が不可欠である
2020年10月26日、菅義偉首相は、第203臨時国会の所信表明演説[注1]において北朝鮮政策について次のように述べた。
「拉致問題は、引き続き、政権の最重要課題です。全ての拉致被害者の一日も早い帰国実現に向け、全力を尽くします。私自身、条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合う決意です。日朝平壌宣言に基づき、拉致・核・ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、北朝鮮との国交正常化を目指します。」
これは、そのほぼ9か月前(2020年1月20日)、第202通常国会において安倍晋三前首相が行った施政方針演説[注2]をそのまま踏襲した内容である。安倍前首相は次のように述べた。
「日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。」
このように菅、安倍政権と続いて打ち出されている金正恩委員長との対話を追求する方針は、決して首尾一貫したものではない。安倍前首相が世界の首脳の前で北朝鮮を口を極めて非難したのは最近の2017年9月のことであった。安倍氏は国連総会演説[注3]で「対話とは、北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」、「必要なのは対話ではない。 圧力なのです」と述べ、北朝鮮に対して敵意を込めた方針を示していた。経済的、軍事的圧力を強めることで、北朝鮮を屈服させ、方針転換に追い込むという考え方である。それが、トランプ米大統領の方針転換に追随して翌2018年9月の国連総会演説[注4]では、「拉致問題の解決に向け、私自身、条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合う決意である」と表明し、対話重視に転換した。
2018年9月に始まり、その後の安倍、菅政権でも継続されている北朝鮮との対話路線とは、いったい何であったのだろうか。「条件を付けずに首脳会談をしたい」という方針を掲げ2年以上が経過したが、対話のための接点すら作れないまま、現在に至っている。この停滞が何を意味するのか、2つの側面から検討する。
第1の側面は、政策の包括性あるいは首尾一貫性の問題である。
2018年における政策転換は、トランプ政策に追随したという事実経過は拭えないが、とはいえ米朝、南北の首脳合意に基づき朝鮮半島で始まった歴史的な変化に反応した結果であることは間違いない。この政策転換を、朝鮮半島情勢を活かしながら成功させるためには、拉致、核、ミサイルの問題を従来のように「特異な北朝鮮問題」という狭い枠内の思考から脱して捉えなければならない。この問題は、植民地支配の清算という歴史問題と北東アジアの平和と安全という地域安全保障問題という、より包括的な政策課題の一部なのである。方針転換後の安倍・菅政権の北朝鮮政策には、そのような包括的視点を読み取ることができない。
包括的な視野に立つならば、北朝鮮への敵視政策を撤回し相互信頼を重ねる方向に向かっているというメッセージが、関連した諸政策全体の中で一貫して発せられることに、何よりも注意を払うことが求められる。
たとえば、経済制裁に関係するメッセージが重要である。従来の「強い制裁圧力」一辺倒を見直す姿勢が伝わることが求められる。国連制裁への働きかけには時間を要するとしても、まずは日本独自の制裁について、段階的な緩和をメッセージとして伝えることが可能であろう。2020年11月4日、第203臨時国会の衆議院予算委員会で岡田克也議員(立憲民主党)と茂木敏充外務大臣が以下のような質疑応答を行った[注5]。
岡田克也:「今、北朝鮮はかなり厳しい状況にあると言われています。経済制裁、そして、新型コロナウイルスの関係で国境を閉ざしていること、水害の問題。金正恩委員長の国内向けの発言も、かなり異例のものがありました。そういう中で、例えば、国連のWFP世界食糧計画では、北朝鮮の人口の40%ほどが栄養不足の状況にあるという報告もしています。制裁に反しない限りでの食料支援、人道支援、そういったものを提案するおつもりはありますか。」
茂木国務大臣:「現在、北朝鮮は、委員おっしゃるように、三重苦とも言われるわけでありますけれども。その上で、少なくとも現状において経済制裁の緩和というものは時期尚早だと考えておりますが、一般的に、人道支援につきましては、その必要性を含めて総合的かつ慎重に見きわめた上で適切に判断をしていく…」
ここでの外務大臣の答弁には、北朝鮮に対して積極的なメッセージを発するという姿勢を伺うことが出来ない。せめて人道的食糧支援についてはもっと強いメッセージを発することが出来たはずである。また、経済制裁に関しては独自制裁と安保理決議に関わるものと区別した、積極的なメッセージを発するチャンスであった。
経済制裁とは別の例として、イージス・アショア配備の代替策として自衛隊に敵基地攻撃能力を付与することを検討するという、北朝鮮に対する強い負の外交メッセージがあった。安倍政権が発した負のメッセージを菅政権は繰り返してはいないが、それを弱めるメッセージも発していない。2020年8月以降、北朝鮮を敵と想定して敵基地攻撃能力の保有を検討することが政府部内で行われてきている。「無条件で金正恩委員長と直接向かい合う」という積極対話の政策と逆方向のメッセージだと言わざるをえない。この点についても、2020年11月13日、第203臨時国会衆議院外務委員会において、岡田議員が「菅総理は、条件をつけずに金正恩委員長ともお会いする用意があるというふうに言われています。そういう中で、一方で攻撃能力を持つという議論をしているとすれば、それはまさしく支離滅裂というふうにも見えますね。」[注6]と指摘している。
2020年12月18日、政府は、スタンド・オフ・ミサイルの開発を盛り込んだ新たな閣議決定した[注7]。ここでは敵基地攻撃能力という位置づけではなく尖閣諸島などの防衛能力と位置付けているが、北朝鮮に対するメッセージの修正努力は行われていない。
上に掲げた2つの例に見られるように、拉致、核、ミサイルを解決するための北朝鮮との安倍政権、菅政権の対話路線は、極めて包括性と首尾一貫性を欠いたものであった。
第2の側面として日朝平壌宣言の位置づけ問題がある。
2002年9月に小泉純一郎総理大臣と金正日国防委員長(総書記)との間で合意された平壌宣言は、現在も日朝関係を正常化するための基礎的外交文書と考えられる。前述したように、安倍、菅両政権とも平壌宣言を引用しながら北朝鮮政策を説明している。しかし、平壌宣言の何を大切に考えているのかについて、政府の考え方が発信されていない。これは「無条件対話という積極方針」の仏に魂がないに等しい。
平壌宣言は、前文において「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した」と述べ、その上で、第1項で「双方は、この宣言に示された精神および基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する…。実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む」と述べている。すなわち、宣言の魂は、諸困難を乗り超えて国交正常化の早期実現に向かうという両国の決意にあると言えるであろう。拉致、核、ミサイルといった諸懸案は個別の障害であり、そのどれかを突出させて国交正常化を困難に陥れるとすれば、それは平壌宣言に則ることにならない。
この点に関連して、とりわけ拉致問題に関する安倍・菅政権の取り扱いには問題がある。両政権は拉致問題をあらゆる交渉の入口を阻む壁のように位置付けている。私たちも拉致被害者家族の心情を思うと一日も早い解決を願う気持ちに変わりはない。そのためにも、2018年に始まった朝鮮半島情勢の好転を定着させ、日朝国交正常化につなげるのが最短の道ではないかと考える。和田春樹氏が指摘するように[注8]、安倍、菅政権が今も繰り返している「拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はあり得ない」という考え方[注9]は平壌宣言に合致せず、破棄されるべきであろう。
「条件を付けずに金正恩氏との対話を追求する」と述べている菅政権の対北朝鮮政策は、今後も維持されるべきものである。しかし、その政策が功を奏するためには、この政策に見合った日本の外交・安全保障政策の包括性と首尾一貫性を示すメッセージが必要であり、また、平壌宣言が日朝国交正常化を至上の目標としているという認識を明確にすることが求められる。このような変化を伴わない北朝鮮政策は、言葉だけの世論向けジェスチャーに過ぎないとの誹りを免れることはできない。
(梅林宏道、湯浅一郎)
注1 第231臨時国会における菅首相の所信表明演説(2020年10月26日)。
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2020/1026shoshinhyomei.html
注2 第201国会における安倍首相の施政方針演説(2020年1月20日)。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0120shiseihoushin.html
注3 安倍前首相の第72回国連総会一般演説(2017年9月20日)。
https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0920enzetsu.html
注4 安倍前首相の第73回国連総会一般演説(2018年9月25日)。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0925enzetsu.html
注5 第203臨時国会衆議院予算委員会(2020年11月4日)での岡田克也議員の質問。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001820320201104003.htm#p_honbun
注6 第203臨時国会衆議院外務委員会(2020年11月13日)での岡田克也議員の質問。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000520320201113002.htm#p_honbun
注7 閣議決定「新たなミサイル防衛システムの整備及びスタンド・オフ防衛能力の強化について」(2020年12月18日)。
https://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/guideline/2019/pdf/stand-off_20201218.pdf
注8 市川速水「『日韓の亀裂の修復』を和田春樹さんと考える」、『ウェブ論座』2019年7月5日。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019070200004.html?page=4
注9 日本外務省「2019 拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に 関する政府の取組についての報告」、2020年6月
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000099426.pdf