2019/09/20

監視報告 No.15

監視報告 No.15  2019年9月20日

§ 定まらぬ米国の交渉姿勢―段階的アプローチを支持する世論形成が急務だ

 板門店パンムンジョムで行われた6月の首脳会談以来停滞している朝鮮半島の平和と非核化に向けた米朝の交渉について、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の崔善姫チェソンヒ第1外務次官は、9月下旬頃に米国との協議に応じる用意があると表明した[1]。崔善姫は「米国側が朝米双方の利害に等しく合致し、われわれに受け入れ可能な計算法に基づいた提案を持ってくると信じる」と期待を示す一方で、米国側が「新しい計算法と縁のない古いシナリオをまたもや持ってくるなら、朝米間の取引はそれで幕を下ろすようになるかも知れない」と米国政府に警告している。北朝鮮の要望に応じることは、米国や日本などでは「妥協」とか「弱腰」と捉えられかねないが、現状を打開するためにはやはり北朝鮮が主張する「新しい計算法」で米国政府が協議に臨む必要がある。マスメディアではほとんど注目されていないが、米国の専門家からも「新しい計算法」となり得る現実的な打開策が既に提案されており、朝鮮半島の平和と非核化を実現するためには、米国政府がそうした提案を実際に採用できるかどうかが今後の鍵になる。

「米韓合同軍事演習が終わればすぐに会って交渉を開始したい」、「軍事演習が終われば、ミサイル実験はやめる」。米国のドナルド・トランプ大統領に手紙でこう伝えていた北朝鮮の金正恩委員長だが[2]、北朝鮮は米韓の軍事演習終了後も依然としてミサイル実験を行い、先月の23日と31日には、それぞれ李容浩(リヨンホ)外相と崔善姫米国側の交渉姿勢についてマイク・ポンペオ米国務長官を名指して厳しく批判している3]。

冒頭の崔善姫の警告も含め、一見すると強硬に映る北朝鮮側の言動だが、彼らの米国に対するこれまでの一貫した方針に沿ったものとして理解することができる。

北朝鮮は核兵器を放棄する条件として常に北朝鮮に対する敵視政策の中止を米国に求めてきた。1994年の米朝枠組み合意や2005年の6か国合意など、これまで北朝鮮が合意した朝鮮半島の核に関する主な合意はいずれも北朝鮮の安全の保証を条件にしていたし、2008年に6か国合意の枠組みが崩れた後も、北朝鮮側は米国が敵視政策を止めることを条件に核開発を中止する提案を行っている[4]。そして昨年6月にシンガポールで行われた米朝首脳会談では、金正恩は「北朝鮮の安全の保証」をトランプに確約させた上で、米国側と「新しい米朝関係の構築」や「朝鮮半島の永続的かつ安定的な平和体制の構築」、「朝鮮半島の完全な非核化」、「米兵の遺骨回収と返還」に取り組むことで合意した。そしてシンガポール合意後、北朝鮮は米国に対する信頼の度合いに合わせてミサイル施設の一部解体や米兵の遺骨返還などを行い、北朝鮮の非核化だけを一方的に求める米国政府に対してシンガポール合意の履行を求めてきた。北朝鮮にとって、戦争状態にある米国の侵略を抑止するために開発した核兵器は、それを手放しても米国に侵略されないという安全が担保されない限り放棄することができない。

対する米国政府の方針ははっきりしない。2月にベトナム・ハノイで行われた首脳会談では、会談前にスティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表がシンガポール合意の「全ての約束」を「同時並行で追求する用意がある」と北朝鮮側の交渉担当者に伝えていたにもかかわらず[5]、実際には制裁解除の条件として北朝鮮に全ての核施設の廃棄を要求し、会談は物別れに終わった。その舞台裏については、ジョン・ボルトン大統領補佐官(当時)とポンペオ国務長官が、北朝鮮側が受け入れないことを承知でトランプに全ての核施設の廃棄を要求するよう進言していたとニューヨークタイムスが伝えるなど、北朝鮮との合意に前向きだったトランプを政府内の強硬派が阻止したとの見方が多い[6]。また6月の板門店会談でも、ビーガンは会談直前に「シンガポールでの共同声明の約束を同時的・並行的に進展させるために北朝鮮側と建設的な議論をする準備ができている」と語り[7]、会談後の記者との非公式な会話で凍結案─北朝鮮側が大量破壊兵器開発計画を完全に凍結し、米国側が北朝鮮に対する人道支援をし、双方が人的交流と首都への連絡事務所の設置を行う─を検討していると語っていた。そして、国務省報道官も凍結案を否定せず、非核化プロセスの「開始時点で我々が見たいものだ」と述べていた[8]。ところがポンペオは、821日に行われた米国メディアとのインタビューで、北朝鮮が非核化しないなら「史上最強の制裁を維持し、金委員長と北朝鮮指導部に非核化が正しい道であるという事を納得させる」と述べている[9]。ポンペオは今月6日に米国・カンザスシティで行われた講演でも、米国側の合意の履行義務は棚に上げて、北朝鮮側が約束通り非核化すれば米国は彼らに安全を提供すると語っており[10]、シンガポール合意が相互的で対等なものであるということが全く念頭にない。先月の李容浩や崔善姫によるポンペオ批判は当然のものだ。

また米国は規模を縮小しながらも対北朝鮮軍事力の維持強化を意図する米韓合同軍事演習を8月に実施し、ステルス戦闘機F35Aなど最新兵器の韓国への納入を続けている[11]。北朝鮮が7月から繰り返し行っているミサイル実験は、合意に反する行動をとる米韓に対する反発の意思表示という側面もあるが、より実質的には軍事的能力の向上を図る米韓に対して、自国の安全保障を確実にするための現段階における軍事力の強化と捉えるべきだろう。

朝鮮半島の完全な非核化を実現するには、シンガポールで約束した通り、「新しい米朝関係」や朝鮮半島の「平和体制」を構築して「北朝鮮の安全の保証」を確かなものにし、北朝鮮が核兵器を放棄できる環境を整えてゆかなければならない。その最初のステップとして考えられるのは、まさにビーガンが示唆していた凍結案だ。マスメディアなどでは「北朝鮮の非核化」が置き去りになるのではないかと懸念する見方が強いようだが、米国側が凍結案を真剣に検討しているなら、それは前進と捉えられるべきだ。元米国務省高官のロバート・エインホーンは凍結案を支持し、非核化に向けて北朝鮮が受け入れ可能な具体的な提案を、日本のマスメディアも度々引用するシンクタンク、38ノースに寄稿している[12]。

エインホーンは、凍結案による「暫定的な合意を超えて」北朝鮮が「完全な非核化」に向けて歩みだすよう「圧力」をかけるために、米国政府は制裁緩和を「梃子」にすべきだと主張し、具体的な中間措置として、朝鮮戦争の終戦宣言、両国の首都への連絡事務所の設置、米韓合同軍事演習の規模の制限、新たな国連制裁や独自制裁を追求しないという約束、人道支援、南北間の経済事業(開城(ケソン)工業団地や金剛山(クムガンサン)観光事業など)に関する制裁の除外、いくつかの国連制裁─特に北朝鮮の外貨獲得とは関係のない事業を妨げている制裁(北朝鮮による石油製品の輸入など)─の解除を挙げている。これらの多くは、我々の監視報告も段階的措置として提案てきた内容でもある13]。
米国政府は北朝鮮が核兵器を放棄するために不可欠な条件である「安全の保証」を如何に提供するかを示す必要がある。北朝鮮側からすれば、それが米国の「新しい計算法」ということになるだろう。

「新しい計算法」で米国が交渉に臨むためには、関係国の世論とマスメディアの役割も重要になる。米国が北朝鮮に安全の保証を提供するための行動をとろうとした時に、それが朝鮮半島の完全な非核化実現のために必要な措置であると世論が理解できるかどうか。この点については、ハノイ会談でトランプがメディアに叩かれることを恐れて用意されていた合意文書への署名を見送ったことが想起される。トランプは会談後の会見で「私は今日署名することもできた。そうしたらあなた方は『何とひどい取引だ。彼は何とひどい取引をしたんだ』と言っただろう」と述べて、出来上がっていた合意文書に署名することは「100%」可能だったがしなかったと明らかにしている[14]。国内外に多くの混乱や災難をもたらす言動を繰り返しているトランプだけに、マスメディアが大統領選に向けて成果を欲しがるトランプを批判する構図から脱却することは難しいかもしれない。しかし、党派をこえて「朝鮮半島の非核化」にとって必要な措置は何かという視点から世論を形成する努力が、識者にもメディアにも極めて重要である。

強硬派のボルトンは政権を去ったが、だからと言って米国が「新しい計算法」で今後交渉に臨むとは限らない。しかし仮にトランプ政権に「新しい計算法」で交渉に臨む意志があるとしても、世論の動向を考慮に入れざるを得ないだろう。また米国政府が「計算法」を変えないなら「新しい計算法」で交渉させるために世論の圧力が必要になる。政府関係者だけでなく、研究者やマスメディア、市民社会、東アジアの平和を求める全ての人がこの問題にどう向き合い行動するかということが問われている。(前川大)

1 『朝鮮中央通信』201999
2 トランプのツイート 2019810
3 823日、李容浩は制裁で北朝鮮を非核化させると米国メディアに語ったポンペオ(本文参照)を米朝交渉の「妨害者」と非難し、「米国が対決的姿勢を捨てずに制裁など」で臨むなら、「われわれは米国の最大の『脅威』」として残り続けることになると米国政府を批判した(『朝鮮中央通信』2019823日)。831日、崔善姫はポンペオが米国・インディアナポリスでの演説で北朝鮮を「ならず者」と呼んだことに反発し、「米国との対話に対するわれわれの期待はますます消えており……今までの全ての措置を再検討しなければならない状況へ進ませている」と警告した(『朝鮮中央通信』、2019831日)。
4 2012229日の「うるう日合意」がその代表的な例である。米朝両国は互いに敵対的意図がないことを確認し、北朝鮮は長距離ミサイル実験や核実験の中止、寧辺のウラン濃縮停止、国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れを約束した。(詳細はピースデポ『核兵器・核実験モニター』397号参照)。
5 米国務省、「Remarks on DPRK at Stanford University」、2019131
6 『ニューヨークタイムス』(201932日電子版)
7 「U.S. ready for talks with N.K. to make 'simultaneous and parallel' progress: nuke envoy」(『聯合ニュース』、2019628日)(英文)
8 ビーガンの非公式インタビューは『AXIOS』(201973日「Scoop: Trump's negotiator signals flexibility in North Korea talks」)(英文)。
凍結案を認めた米国務省モーガン・オルタガス報道官のコメントは、米国務省「国務省プレス・ブリーフィング」(201979日)。
9 「Mike Pompeo says no to Senate run in exclusive, wide-ranging interview」(『ワシントンエグザミナー』、2019821日)
10 「Secretary Michael R. Pompeo with Pete Mundo of KCMO」(米国務省、201996日)
11 監視報告No.13及びNo.14参照。
12  Robert EinhornUS-DPRK Negotiations: Time to Pivot to an Interim Agreement」(38 North201982日)
13 監視報告No.7及びNo.12は、交渉の初期段階で妥結を目指すべき中間措置として、①戦争終結宣言あるいは平和宣言、②平壌への米連絡事務所の設置、③不安要因となりうる今後の米韓合同演習の規模や性格に関する暫定的な合意、④経済制裁の緩和についての北朝鮮の5件の要求よりも低いレベルの緩和措置、⑤南北の経済協力に付随して必要な範囲に限定した制裁緩和、⑥平和利用の担保を条件にした北朝鮮の宇宙や原子力開発に関する制限の緩和と核・ミサイル施設の公開の拡大、を提案した。
14 「トランプ大統領のハノイでの記者会見における発言」(ホワイトハウスHP2019228日)

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