2021/10/29

監視報告 No.34

 監視報告 No.34  2021年10月29日


§北朝鮮問題を考えるとき、まず手に取るべき一冊
――書評:『北朝鮮の核兵器—世界を映す鏡』(梅林宏道、高文研、2001年)
             山口響(長崎大学核兵器廃絶研究センター客員研究員)

 本書は、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の核兵器問題について、北東アジア非核兵器地帯の提唱などで実績があり、本「監視報告」でも健筆を揮っている梅林宏道氏が包括的に論じたものである。
 各章の細かい説明に移る前に、本書の特長をいくつか挙げてみたい。
 第一に、1950年代以降の北朝鮮の核兵器をめぐる動きが本書一冊によって通観できるという点だ。北朝鮮に関する書籍(とりわけ、その核・ミサイル開発の危険性を強調するもの)は多く出されているが、時系列的にきちんと事情を整理している研究はそう多くない。しかも、単なる年表的、百科事典的な情報の羅列ではなく、後述するひとつの「視座」がそこに貫かれていることが、本書を特異なものたらしめている。
 第二に、いま述べたばかりの点と関連するが、北朝鮮の核・ミサイル「開発」にばかり焦点を当てているのではなく、それを取り巻く国際的な情勢、とりわけ米国の動向を中心に検討している点である。したがって、北朝鮮が単線的に核兵器やミサイルの開発に邁進してきたという見方は本書では排除され、とりわけ米朝関係という文脈の下でのジグザグな道筋がむしろ強調されることになる。
 第三に、1960年代以降の日本の社会運動の世界に身を置いてきた筆者が、韓国民主化運動を初めとするアジアの民衆運動と触れあってきた経験の中から、本書が構想されているという点である。
 * * * *
 これらのことを確認したうえで、各章の内容を要約していきたい。
 序章には「視座を正す」というタイトルが与えられている。北朝鮮の核問題を考えるにあたっての視座のゆがみとは、梅林によれば、北朝鮮の「脅威」ばかりを言いつのって、米国やロシアなど核大国の核兵器の危険性を正確に認識しないことである。
 ただし、そのことによって北朝鮮を免罪する意図は梅林にはない。「核兵器という究極の暴力が国家安全保障に必要だと主張し続けている核兵器国」(p.33)、とりわけ米国が北朝鮮を敵視し、あまつさえその体制を転覆しようとすら試みていることが、北朝鮮の核武装の背景にあるというしごく当たり前の認識を示しているだけである。米国のシュレジンジャー元国防長官の言葉を引きながら、米国の核抑止力は毎日「使用」されているとする筆者の指摘は評者には新鮮だった。なお、本書の副題が「世界を映す鏡」とされているのは、北朝鮮が、核兵器を毎日「使用」している核兵器国と同じ土俵に乗って核開発を進めようとしているためである。
 「視座を正す」べきとの梅林の呼びかけは、日本のありようとも関わっている。すなわち、北朝鮮の核開発の背後には、「1945年の植民地支配からの解放と同時に始まった南北分断、そして朝鮮戦争へと突き進んだ歴史」(p.21)がある、という認識だ。そのために梅林は、北朝鮮核問題とは一見関係なさそうな、1948年の済州島における民衆弾圧「4・3事件」の経験について、序章であえて長々と紹介している。自らの植民地主義を清算していないどころか、現在は米国の「核の傘」の下にすらある日本が、北朝鮮核問題の原因の一部であることは疑う余地がない。
 さて、これらの視座を与えたうえで、本書は第1章から第5章で時系列的に北朝鮮核問題の動向を追っている。
 第1章は、初期の核開発(1950年代~1992年)を整理する。北朝鮮は1950年代末以降、ソ連の支援を受けながら原子力開発を進めるが、ソ連は北朝鮮への発電用原子炉供給を望まず、北朝鮮が核不拡散条約(NPT)に加入するのはようやく1985年になってからのことだった。またこの間、北朝鮮は独力で黒鉛減速炉の開発を進めたが、当時にあっては発電が主目的であったと梅林はみている(p.44)。
 「束の間の春へ」と題された第2章は、1993年から2000年にかけての事情を、1994年核危機に焦点をあてつつ論じている。この直前の時期にあたる1992年前半に、北朝鮮と国際原子力機関(IAEA)との保障措置協定と、「朝鮮半島のための南北共同宣言」がそれぞれ発効していた。しかし国際社会は、後者を軽視して、IAEAを通じてのみ北朝鮮の核開発を阻止しようとの歪みを持っていたため、北朝鮮による1度目のNPT脱退宣言(1993年3月)につながってしまう。米国は北朝鮮に対する戦争を真剣に検討するものの、カーター元米大統領の訪朝を一つのきっかけとして事態の打開策が見出され(いわゆる94年危機)、米朝枠組み合意(1994年10月)、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)協定合意(1995年3月)へとつながっていく流れについては比較的よく知られていると思うので、ここでは詳述しない。
 重要なのは、この時点では北朝鮮に核武装の意図はなく、「米国の脅威を除去するために米朝関係を構築するという戦略目標のために、将来の核開発の可能性を臭わし続けるという外交路線を取り始めた」(p.61)と梅林が判断していることである。
 1998年の「テポドン・ショック」などがありながらも、KEDOは少しずつ成果を挙げつつあった。これを反転させたのが、2001年の米ブッシュ政権の登場である。「米ネオコン政治と6か国協議」と題する第3章は、その点を取り扱う(2001年~2008年)。クリントン期の米朝枠組み合意を「失敗」と断じる米政府内の強硬派は、北朝鮮を「悪の枢軸」と非難し、それが2003年1月の北朝鮮による2度目のNPT脱退宣言につながる。
 この後米国が、イラクの場合とは異なって、暴力による北朝鮮の体制転覆を試みるのではなく、いわゆる「6か国協議」の枠組みに進むことはよく知られているので、やはり詳述は避ける。本書でも、2005年の「9・19共同声明」に至る流れ、米政府内の強硬派が巻き返して対北金融制裁などが発動される流れ、2006年の北朝鮮による初の地下核実験、そうした紆余曲折を経つつも6か国協議の枠組みは継続し、北朝鮮の非核化に向けた粘り強い国際交渉が続けられていたことが手際よく整理されている。
 北朝鮮の核武装が成った直後の2009年~2017年の事情については、「並進路線と戦争抑止力」と題された次の第4章において扱われている。この時期、北朝鮮は第2回から第6回(現時点では最後)までの核爆発実験を行っている。
 2009年からの米オバマ政権第一期において、北朝鮮との対話はほとんど進まなかった。その理由を梅林は次の3点に整理する(p.129)。
①オバマ政権のメッセージが、高みに立つ者の恩恵的ニュアンスを帯びており、北朝鮮の敏感なプライド意識への配慮に欠いていたこと。
②人工衛星開発に進もうとする北朝鮮の宇宙開発路線が国際社会において否定されたこと。
③韓国において10年ぶりの反共・保守政権が誕生したこと(李明博、朴槿恵政権)。
 2013年3月、北朝鮮は、経済開発と核戦力建設を同時に実行する「並進路線」を打ち出す。こうしたこともあって、2013年からの第二期オバマ政権は、(オバマ自身がそう呼んだわけではないが)いわゆる「戦略的忍耐」の態度をとって、北朝鮮との交渉にきわめて慎重になった。
 2017年に登場した次の米トランプ政権が、その最初期において、「炎と怒り」「完全に破壊」発言などで北朝鮮の激しい反発を招いたことは、あらためて評者が説明するまでもないだろう。
 第5章「希望と期待」は、その後から現在に至る時期を扱っている。2017年5月に韓国に文在寅政権が生まれ、それと近い時期に北朝鮮の並進路線が終了する(2018年)という南北関係の「巡り合わせ」があった(後者に関して梅林は、「先軍政治」にならって、「先経済政治」に移行したと評している)。このことが、2018年4月の南北首脳による「板門店宣言」、同年6月のトランプ米大統領と金正恩国務委員長による「シンガポール共同声明」へとつながる。後者は、抽象的ながらも「米朝関係の正常化」「朝鮮半島における平和体制の確立」という2つの大目標に合意しており、今後の交渉の基礎になるとして梅林は高く評価する。しかし、その後トランプ政権は「ビック・ディール」という高いハードルを設けるようになり、交渉はうまくいかなかった。「あとがき」にあるように、バイデン新政権はまとまった北朝鮮政策を打ち出しておらず、今後のゆくえは見通せない。
 さて、最後の第6章「核・ミサイル技術の現状」は、技術的な観点から北朝鮮の開発・保有する核兵器やミサイルの現状を整理しており、きわめて便利である。
 * * * *
 最後に、本書への注文と今後の梅林氏の仕事への期待などをいくつか述べて、書評を閉じることにしたい。
 第一に、クリントン政権は別として、米国の共和党政権時(ブッシュおよびトランプ)に対北交渉が進み、対話に熱心であるはずの民主党のオバマ政権時にかえって交渉が進まなかったことの理由をどうみればいいのだろうか。ブッシュ期に関しては、対話路線をつぶそうとする強硬派(ネオコン)の反撃という米政府内での角逐は本書でもよく描かれているが、それでもなお全体としては、6か国協議を中心とした対話路線をブッシュ政権が崩さなかったことの理由はどこにあるのだろうか。反対に、オバマ政権が、とくにその第二期に「戦略的忍耐」路線を取って北朝鮮との交渉にあまり関心を示さなかったのはなぜか。北朝鮮の核・ミサイル開発が既成事実として一定程度進んでしまったという「時間差」に、オバマの不熱心さの原因は求められるのだろうか。さらにいえば、トランプ大統領の当初のレトリカルな対北朝鮮中傷が米朝サミットへと急展開していった流れはどうみればよいのだろうか。
 もちろん、300ページ程度の書物にこれらの問題の解決をすべて求めるのは「ないものねだり」であろう。ここで評者が強調したいことは、そのような今後考究すべき問いが、北朝鮮核問題を手際よく通時的に概観した本書の記述の中にたくさん詰まっているということである。
 第二に、日本がこの問題に深くかかわっているという視座の重要性を示しているにもかかわらず、日本政府の実際の動き方について本書ではほとんど触れられていない。おそらくこのことは、梅林自体の問題というよりも、日本政府が北朝鮮核問題については独自の外交方針をほとんど持っていないことの反映なのだろう。いや、安倍政権の「圧力」路線に示されるように、北朝鮮との交渉にほとんど関心を示していないという点で、時として実利的な米外交とは異なって、もしかすると日本はかなり「独自」の線を行っているのかもしれない。であれば、日本語の書物としては、もう少しその辺りに光を当ててもよかったのではないか。日本外交が「不在」であるとするのならば、そのこと自体の理由は追究するに値する。
 第三に、梅林よりはるかに下の世代の人々が本書をどう読むのだろうか、ということが気にかかる。本書評の冒頭で紹介したような梅林のライトモチーフは、1960年代から70年代にかけての日本の社会運動をくぐり抜けてきた人々にはすんなりと理解されるものだろう。他方で、21世紀以降に日本で精神形成を遂げてきた者たちは、「北朝鮮は悪、それに振り回される国際社会」という基本構図を骨の髄まで叩きこまれている。また、在留外国人の中に占める朝鮮人の割合が減少してきて、朝鮮と日本との関係という古くて新しい問題に接する場面も少なくなってきている。いやむしろ、そういう発想・世代の人々に向けて、主流とは異なる視座から北朝鮮核問題を眺めよ、と指摘するのが、本書の役割というべきか。
 本書は、このような今後への問いを触発するという意味においても、北朝鮮核問題を深く考えたい読者がまず手に取るべき一冊だと言えよう。なお本書は、「梅林宏道の仕事の深層」と題されたシリーズの第1巻にあたっているという。今後の刊行が楽しみだ。
(見出しは編集部)

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