§ ハノイ会談は失敗であったとは言えない。国際社会は段階的制裁緩和について中・ロを含む多元外交の役割を検討すべきである。
2月27-28日にハノイで開催された2回目の米朝首脳会談は合意文書がないままで終了した。会議に向かって米国において外交方針の変化があり、相互の要求を取り入れた何らかの中間的措置に合意するのではないかという期待があった。にもかかわらず、成果文書がないまま終了したことで、メディアや関係者の論評に「決裂」とか「失敗」とかの見出しが目立った。
しかし、そうだろうか?サミットで得られたものの大きさを、今後の交渉の基礎となる相互の認識の前進という尺度で測るならば、サミットは重要な成果を残している。しかも、その認識の前進はトップダウンの特徴をもつ両国の指導者の現状を考えると、サミット開催を通じてのみ得られたものであっただろう。一方で、認識の前進によって状況が今後どのように展開するかに評価の尺度を置くとすれば、我々は予測困難な状況におかれている。両国ともサミットの結果を消化するのに、まだ時間を要するであろう。次の会議までの時間がどのように推移するかを決定する因子は、米朝関係という狭い範囲を超えて広範囲にわたり、複雑である。
このような状況において、本監視報告においてはハノイ・サミットの意義について、今後のために最低限押さえておくべき認識を整理することにする。
(1)シンガポール合意の履行過程は軌道上にあり、脱線していない。
ほとんどの論評において強調されていないが、この単純な事実をまず確認しておくことが重要である。ハノイにおいて合意に達しなかったことに起因して、シンガポール合意そのものの基礎を疑う議論が生まれているからである。現在の米朝交渉の枠組みは2018年6月12日のシンガポール首脳会談における米朝首脳共同声明によって作られている。両国ともその枠組みの前提をハノイにおいて再確認した。
米国の立場からは、ポンペオ国務長官が直後の記者会見において、「金正恩委員長はこの旅の中で、非核化に完全に準備が出来ていると繰り返し確認した」と述べるとともに「(非核化の)見返りに朝鮮半島の平和と安定と北朝鮮人民に対して明るい未来を供与する」のが協議の目的であると述べた。[注1]
一方、DPRKの側においては、朝鮮中央通信(KCNA)が、会議の翌日に異例の速さでハノイ会議の結果について次のように報道した。「両国の最高指導者は、一対一会談や拡大会議において、シンガポール共同声明の履行という歴史的な行程において顕著な進展があったことを高く評価した。」「会議において、両指導者は、朝鮮半島において緊張を緩和し、平和を維持し、完全に非核化するために両者が行った努力や積極的な措置が、相互の信頼を醸成し不信と敵意で彩られた数十年の米朝関係を根本的に転換するのに極めて意義深いとの、共通の理解をもった。」[注2]
すなわち、米国もDPRKも、単に北朝鮮の非核化ではなくて、それぞれの国が責任をもつより大きな枠組みについて、シンガポールにおいて約束をしたことを再確認し、ハノイにおいてもその文脈を理解していることを示した。ただ、メディアの関心の偏りに起因する側面が大きいと思われるが、米国の高官たちの発言においては、この点への強調が弱いことも、指摘しておく必要があるだろう。
(2)米朝とも相手のボトムラインの要求が何であるかを知るとともに、その要求の背景にある相手国の事情について理解を深めた。
ハノイにおける首脳会談に向けて実務協議が積み重ねられてきたが、その結果、両首脳が署名するための合意文が準備されていた。いわば「幻のハノイ合意」が存在したのである。トランプ大統領は2月28日の記者会見において「私は今日署名することもできた。そうしたらあなた方は『何とひどい取引だ。彼は何とひどい取引をしたんだ』と言っただろう。…今日何かに署名することは100%できた。実際、署名するための文書はできていた。しかし、署名するのは適当ではなかったのだ」と述べている。[注3]つまり、実務レベルで合意された文書の内容では米国民の喝采は得られないという判断が[注4]、トランプに北朝鮮に対するより高い要求を出させた。それが北朝鮮には呑めない内容であり、交渉は行き詰まった。
そうだとすると、首脳間で行われたこの交渉によって、米国もDPRKも、相手国の要求とその背景にある事情について理解を深める掛け替えのない機会を得たはずである。記者会見の中で、トランプ大統領が次のような言葉を述べたことは記憶に値する。「制裁強化について話したくない。(今も)強い制裁だ。北朝鮮にも生きなければならない多数の人民が居る。そのことは私にとっては重要なことだ。」「金委員長をよく理解できたので、私の姿勢のすべてが全く変わった。彼らにも見解があるのだ。」
実務レベルの合意、すなわち「幻のハノイ合意」、が何であったかに関する正確な情報はない。しかし、そのような中間的措置に関する合意が存在したという事実は重要な意味をもっている。それは、今後の両国の折衝の重要な基礎となりうるからである。
トランプ大統領の記者会見に反論するために、3月1日の未明に北朝鮮の李容浩外相が記者会見を行い、崔善姫外務次官が質疑に応えた。[注5]そうするとその直後に、ポンペオ国務長官と同行した国務省高官がマニラで記者会見を行った。[注6]これらの情報を総合すると、準備されていた中間措置に関する合意文書の内容は、寧辺の核関連施設(ウラン濃縮設備、プルトニウム生産炉と抽出施設を含む)の全てを検証を伴う形で完全廃棄することと北朝鮮に加えられている制裁措置の何らかの緩和を中心に構成されていたと推定される。北朝鮮が2016年以後の制裁決議5件に含まれる民生関連の制裁緩和を要求したと説明しているが、準備されていた合意文がそれを含んでいたのか、それは首脳会談で勝ち取ろうとした要求項目であったのかは明確でない。北朝鮮は核実験や長距離ロケット発射実験を永久に中止することを文書確認する用意があったと李容浩外相が述べているので、この内容が合意文書に含まれていた可能性がある。
トランプ大統領が「幻のハノイ合意」を超えて要求した内容についても明確な情報はない。トランプ大統領は、追加要求の中に寧辺の外にある第2ウラン濃縮設備の廃棄が含まれたことを記者会見で認めているが、同時に「それよりも多くのことを指摘した」と述べている。[注7]さらに、国務省高官は、シンガポール合意には含まれていない「北朝鮮の大量破壊兵器の完全な凍結」を要求したことすら述べている。[注8]これらの要求がハノイ交渉の行き詰まりの直接の原因となったとしても不思議ではない。
(3)米朝2国間交渉による中間的措置の合意探求だけではなく、中間段階における制裁強度の正統性について国際的な議論が必要となっている。
以上の整理をふまえると、今後の展開について考えられるもっとも分かり易い道筋の一つは、ハノイ会談を基礎にして中間的措置について新しい合意点を追求することであろう。それは「幻のハノイ合意」を基礎にした足し算による均衡点の探求になる。「幻のハノイ合意」よりも低いレベルの合意はあり得ない。ハノイ会談の事前に報道された①戦争終結宣言あるいは平和宣言、②平壌への米連絡事務所の設置などの他に、③不安要因となりうる今後の米韓合同演習の規模や性格に関する暫定的な合意、④経済制裁の緩和についての北朝鮮の5件の要求よりも低いレベルの緩和措置、⑤南北の経済協力に付随して必要な範囲に限定した制裁緩和、⑥平和利用の担保を条件にした北朝鮮の宇宙や原子力開発に関する制限の緩和と核・ミサイル施設の公開の拡大、などが、そのような追加項目になりうるであろう。
ハノイ会談は、このような努力と平行して、経済制裁の緩和に関してより本質的な課題の探求が必要になっていることを示している。安保理決議による北朝鮮への制裁は、単に米国だけではなく国連加盟国全体が関係すべき事案である。にもかかわらず、このことが米朝会談における核心のテーマになりつつある。国際社会は、とりわけ、北朝鮮と関係の深い安保理常任理事国である中国とロシアの果たすべき役割について関心を深め、声を挙げるべきであろう。
北朝鮮は、南北間の板門店宣言と9月平壌宣言、及び米朝間のシンガポール共同声明によって、制裁の原因となっている核兵器・ミサイルの開発から脱する方向へと国家方針を転換した。その転換には、北朝鮮が感じてきた脅威の除去と朝鮮半島の平和と安定が必要であるという内容がこれらの共同宣言、声明には盛り込まれている。この内容は国際社会も十分に納得できるものである。宣言、声明に盛り込まれた合意事項の履行が段階的に行われてゆくとき、制裁の段階的解除を伴うべきであるという議論は、安保理制裁決議の正統性を維持するために避けてはならない議論である。とりわけ、中国やロシアがこのような議論をリードして国際社会に提起することは、北朝鮮が現在の共同宣言・声明の履行への意欲を維持し高めることに大きく貢献すると思われる。歴史上最強といわれる現在の制裁強度を維持すべきであるとの一部の国の考え方の正統性が客観的に吟味されなければならないであろう。(梅林宏道)
注1 マイケル・R・ポンペオ「随行記者との会見」、米国務省・外交の現場(2019年2月28日) https://www.state.gov/secretary/remarks/2019/02/289785.htm
注2 「金正恩最高指導者とトランプ大統領が2日目の会談をもつ」(KCNA、2019年3月1日) http://www.kcna.co.jp/index-e.htm から、英文記事を日付で検索できる。
注3 「トランプ大統領のハノイでの記者会見における発言」(ホワイトハウスHP。2019年2月28日)
注4 ハノイ首脳会談とほぼ同じ時刻に、米国ではトランプ氏の元顧問弁護士マイケル・コーエン被告による米議会証言が行われ全米にテレビ中継された。コーエン被告はトランプ氏の犯罪を詳細に証言し米社会に衝撃を与えた。この同時進行の出来事がハノイ・サミットに影響したことは否めない。
注5 李容浩外相の記者発表全文。(『ハンギョレ』(韓国語版、2019年3月1日)
注6 米国務省「国務省高官の随行記者への説明」(米国務省HP、ペニンスラ・ホテル、マニラ、2019年2月28日) https://www.state.gov/r/pa/prs/ps/2019/02/289798.htm
注7 注3と同じ。
注8 注6と同じ。