§事実に基づく多面的な報道をマスメディアに求める
朝鮮半島の平和と非核化を巡る米国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の交渉は依然として膠着状態が続いており、交渉が決裂して朝鮮半島の緊張が再び高まるのではないかと懸念されている。
米国政府は対話の再開を求めているが、北朝鮮政府はシンガポール合意の履行に欠かせない敵視政策の撤回を強く求め、相互的な行動を前提としない対話に応じるつもりはないようだ[注1]。今月に入って北朝鮮は「重大な実験」を行ったと2度発表[注2]。実験は大陸間弾道ミサイル(ICBM)に関するものだと見られており、金正恩委員長が「忍耐強く米国の勇断を待つ」のは年末までだと明言していることなどから[注3]、ICBMの発射実験を再開する日が近いのではないかと危惧されている。今年5月以降繰り返されている北朝鮮の短距離のミサイル実験を黙認してきたドナルド・トランプ大統領だが、ICBMの発射実験が行われれば、黙っているわけにはいかないだろう。12月3日の記者会見では金正恩との関係は良好だと述べつつも、昨年6月のシンガポールでの首脳会談以来、初めて軍事行動の可能性に言及している[注4]。
行き詰まる米朝交渉について、欧米のレンズを通して世界情勢を見ることに慣れている日本社会では、その責任は北朝鮮側にあるとの見方が支配的だ。例えば、朝日新聞の12月18日付の社説[注5]もその典型的な一つだ。
「北朝鮮の挑発 緊張状態に戻る気か」と題するその社説は、北朝鮮が最近「挑発行為」を繰り返している理由について、経済政策で成果を上げられないことに「焦り」を感じている北朝鮮が米国政府との「駆け引き」で「制裁緩和」を得ようとしているからだと分析する。そして北朝鮮に対して、
「古い思考を捨て去るべきだ。強硬姿勢だけが国際社会からの譲歩を引き出せると考える限り、実利を得られるような展望は開けない。事態を打開するには、非核化に具体的に動くしかない」
と訴えて、実務協議の再開を求めている。一方、トランプ政権に対しては北朝鮮のミサイル実験を黙認してきたことを念頭に「北朝鮮を増長させた責任を自覚すべきだ」と反省を促し、「北朝鮮の非核化」を巡る交渉で「安易な取引」を行わないようにと注文を付ける。そして日本政府と韓国政府に対してはトランプ政権と「綿密な政策調整」を行うよう求め、「米国のブレ」を防ぐとともに「北朝鮮の挑発を抑え」て「非核化の道筋を探る」必要があると主張する。
朝日新聞の主張は事実を前提にしていない。
まず現在の米朝交渉の基盤となっているシンガポールでの米朝の共同声明の合意内容のほとんどを無視している。シンガポールで米朝両首脳は、「新しい米朝関係の構築」、「朝鮮半島の永続的かつ安定的な平和体制の構築」、「朝鮮半島の完全な非核化」、「米兵の遺骨回収と返還」で合意した。また、その前提としてトランプは北朝鮮に「安全の保証を与えると約束」し、金正恩は「朝鮮半島の完全な非核化を行うという固い約束を再確認」した。それにもかかわらず、朝日新聞は「朝鮮半島の非核化」ではなく「北朝鮮の非核化」だけを問題にし、「新しい米朝関係」や「朝鮮半島の平和体制」の構築のことなど全く念頭にない。シンガポール合意に従うなら、北朝鮮が求める敵視政策の撤回──それには制裁解除や米韓合同軍事演習の中止が含まれる──は、「駆け引き」とか「安易な取引」として軽視するのではなく、「新しい米朝関係」や「朝鮮半島の平和体制」の構築のために、「朝鮮半島の完全な非核化」と合わせて考慮されるべき問題だろう。
また朝日新聞は、北朝鮮の「挑発行為」だけを問題にして、米国の「挑発行為」については無視している。今年8月に行われた米韓合同軍事演習や、ステルス戦闘機F35 Bなどの米国の最新鋭兵器の韓国軍への納入は、北朝鮮からすれば「挑発行為」と映るだろう。米韓が軍事力の強化を図っているのだから、米国との戦争状態にある北朝鮮としても安全保障上の対抗措置を取らざるを得ない。ミサイル実験を行う北朝鮮の行為だけを「挑発行為」と批判することはできないはずだ。
それから、「強硬姿勢」だけで「譲歩」を引き出そうとする「古い思考」というのは、米国政府に対して言えることではないか。シンガポール合意の履行状況を見ると、北朝鮮は会談以前に核実験の中止や核実験場の爆破―再建可能との批判はありつつも―という思い切った行動やICBM発射実験の中止を行ったのみならず、会談後もミサイル施設の一部解体や米兵の遺骨返還などを行っているのに対して、米国政府は米韓合同軍事演習の縮小及び延期しか行っていない。こうした事実を踏まえれば、「古い思考を捨て去るべき」なのは、北朝鮮の非核化だけを一方的に求めている米国政府の方だ。「事態を打開」するには、北朝鮮に対する敵視政策の撤回に向けて米国こそが「具体的に動くしかない」のではないか。米国の侵略を警戒する北朝鮮が、抑止力として開発した核兵器を放棄する条件として米国の敵視政策の撤回を求めるのは常識的に考えて当然だろう。
それにもかかわらず、朝日新聞がトランプ政権に対して「安易な取引」をしないよう求めたり、トランプ政権の「ブレ」を心配するのは、圧力が金正恩を対話姿勢に転じさせたのだと勘違いしているからかもしれない。しかし2017年までの朝鮮半島の緊張状態を緩和させたのは、北朝鮮に対する制裁や軍事的圧力ではない。北朝鮮政府は対話姿勢に転じる前に「核戦力の完成」を宣言している。北朝鮮は核保有国となって米国と対等の立場になったと考えたから対話に転じたと見るのが自然だろう。また北朝鮮にひたむきに対話を求め続け、平昌オリンピックを契機に南北関係を改善させ、米朝対話のきっかけを作った韓国の文在寅大統領の功績も大きい。
このように事実に基づかない朝日新聞の主張だが、日本社会ではもっともな意見として受け入れられているのではないかと懸念する。朝日新聞に限らず、日本のマスメディアは米国の立場からの一面的な見方で朝鮮半島情勢について伝える傾向があり、冒頭で述べたように、日本社会では朝鮮半島の平和と非核化の問題を北朝鮮の非核化の問題に矮小化し、まず行動すべきは北朝鮮だという認識が一般的になっている。
米国のレンズを外して現実を見れば、批判の対象も違ってくるだろう。客観的な現状分析は、朝鮮半島の非核化を実現するために極めて重要だ。非核化を実現する上で、社会を動かす原動力となる市民社会が問題を正しく認識している必要もあるだろう。マスメディアには、事実を多様な側面から正確に伝えてジャーナリストとしての本来の仕事をしてもらいたい。(前川大)
注1 12月に予定されていた米韓合同軍事演習が延期されたことを受けた金英哲・朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長の談話(『朝鮮中央通信』日本語版、2019年11月18日)や、ドナルド・トランプ米大統領の「早く行動し合意すべきだ。近いうちに会おう!」というツイートに対する金桂寛・外務省顧問の談話(『朝鮮中央通信』日本語版、2019年11月18日)など。いずれも、
注2 『朝鮮中央通信』(日本語版、2019年12月8日及び12月14日)
注3 『朝鮮中央通信』(日本語版、2019年4月14日)
http://kcna.kp/kcna.user.home.retrieveHomeInfoList.kcmsf「最高指導者の活動」から、日付で施政演説を探すことができる。
注4 米大統領官邸(ホワイトハウス)、「Remarks by President Trump and NATO Secretary
General Stoltenberg After 1:1 Meeting」、2019年12月3日
注5 『朝日新聞』(2019年12月18日)