§ 北東アジア非核兵器地帯という枠組みで、シンガポール合意の実現を目指そう
朝鮮半島の平和と非核化に向けた米朝交渉は、10月4日にスウェーデンのストックホルムで再開した実務者協議も不調に終わり、依然として膠着状態が続いている。米国政府は12月に予定していた米韓合同軍事演習を延期するなど朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に対して一定の譲歩を示しているが、北朝鮮政府は米国の北朝鮮に対する敵視政策の完全な撤回を求めて米国政府の対話要求を拒否している[注1]。北朝鮮政府が設定した年末までの交渉期限が迫っており、このまま協議が決裂することも懸念されるが、北東アジアの平和と安定のために、我々は昨年6月に米朝両首脳がシンガポールでの首脳会談で約束した「朝鮮半島の平和体制の構築」と「朝鮮半島の完全な非核化」の実現を諦めるわけにはいかない。今回の報告書では、朝鮮半島の非核化に向けた打開策として、米朝2国間の枠組み以外の方策を提案する。
米朝両首脳がシンガポールで合意した朝鮮半島の平和と非核化の実現を阻むものは何か。
北朝鮮側からすると、それは北朝鮮政府の要求から明らかなように、米国が北朝鮮に対する敵視政策をいつまでも続けていることだろう。朝鮮戦争で米国に国土をことごとく破壊され、未だに米国と戦争状態にある北朝鮮にとって、核兵器をもつことは米国の侵略に対する抑止力として重要な意味をもっているであろう。従って北朝鮮政府が米国政府に繰り返し求めている敵視政策の撤回は、非核化の条件として十分に理解できる要求である。
一方、米国政府は、軍事的圧力や経済制裁などの北朝鮮に対する敵対的な政策は、北朝鮮が非核化を実現した後に解消されるべきだと考えているようだ。例えば、今年2月にベトナムのハノイで行われた首脳会談で米国政府が制裁解除の条件として北朝鮮に全ての核施設の廃棄を要求したように、トランプ政権は制裁緩和をほのめかすことはあっても、北朝鮮が非核化するまで制裁を続けるという方針で一貫している。たとえ米国の侵略に対する抑止力であろうと、北朝鮮が核兵器を持つことは国際的な安全保障上の脅威だという論理を米国は国連制裁決議を通して組み立てた。その論理の上に立てば、北朝鮮が核兵器を放棄するまでは制裁の緩和に応じるわけにはいかないし、北朝鮮を仮想敵国と見立てた軍事力も解消することはできないということなのだろう。
どちらの言い分に理があるかについては脇に置くとして、双方が抑止力や安全保障を理由に譲らないなら、この問題を平和的に解決することはできない。
それではシンガポール合意の実現は不可能なのか。いや、幸いなことに、世界には参考となるモデルが存在する。それは非核兵器地帯という安全保障体制だ。
非核兵器地帯とは、条約によって域内での核兵器の開発・製造・取得・所有・貯蔵などを禁止するとともに、核保有国が域内への核兵器による攻撃・威嚇を行う事も禁止するもので、既に中南米(ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約、1968年発効)や南太平洋(南太平洋非核地帯条約、1986年発効)など5つの非核兵器地帯が存在し、非核を基礎にした安全保障の枠組みとして機能している。
非核化の対象をシンガポール合意のように朝鮮半島に限定せず北東アジアに拡大することは、以下の2つの理由から、朝鮮半島の非核化を確実に実現させ、平和を維持していく上で必要であると考えられる。
①シンガポールで米朝が合意した「朝鮮半島の完全な非核化」は在韓米軍を含む韓国の核も対象である。従って韓国への米国の拡大核抑止力に代わる措置として、核保有国である中国とロシアが朝鮮半島への核による攻撃や威嚇をしないという保証が必要であること。
②在韓米軍の機能が在日米軍に移され維持されるようなことがあれば、北朝鮮の安全の保証は十分に担保できないこと。
また法的拘束力のある検証制度が伴う既存の非核兵器地帯をモデルとするなら、日本政府などがこだわる「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」を実現できるメリットもある。
核兵器を保有する軍事大国である中国とロシアが存在する北東アジアで、本当に米国の「核の傘」に頼らずに安全保障を確保できるのかと疑う声もあるだろう。北朝鮮に対して非核化を要求していることを考えれば随分と身勝手な発想だと言わねばならないが、心配は無用だ。同じ北東アジアの国で、一国ながら非核兵器地帯であることを宣言し、国内法で非核化を義務付けることで国際社会の信頼を得て、安全保障体制を築いている国がある。中国とロシアに挟まれたモンゴルは、1998年の国連総会で「非核兵器地位」が認められ、以降国連総会で毎年「非核兵器地位」を確認することで、非同盟国でありながら安全保障体制を確立している。モンゴルの場合は複数の国家からなる非核兵器地帯ではないため、条約による法的な担保がないが、それでも非核兵器地帯であることが国連で認められれば、北東アジアでも大国の「核の傘」に頼ることなく、最小限の軍事費で安全保障を確保できることを示している。
朝鮮半島には東西の冷戦構造が残っていると言われることがあるが、それは中国や北朝鮮など体制の異なる国家を敵視し、安全保障を対話ではなく「核の傘」に依存するという古い考え方に縛られているということと無関係ではない。また北東アジアに限らず、西アジアや東ヨーロッパなど世界各地で、米軍やその同盟の存在が地域を不安定化している。我々はこうした現実に気づき、古い考えから脱却しなければならない。
北朝鮮政府は、朝鮮半島の非核化に関する韓国政府との最初の共同宣言である「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」(1992年)で「核兵器の実験、製造、生産、持ち込み、保有、貯蔵、配備、使用をしない」ことで合意しており、しかもこの宣言は米朝御枠組み合意(1994年)や6か国共同声明(2005年)でもその履行を目指すことが再確認されている。それ以後北朝鮮は核兵器を保有した訳であるが、一貫して「米国の核の脅威がなければ核保有の理由がない」と言い続けている。北朝鮮が、これを充たす非核兵器地帯のような形での非核化の実現を受け入れる可能性は高い。
課題は米国とそれに追従する勢力だろう。アジアでの覇権を維持したい米国政府は、中国やロシアの影響力を抑えるために、核兵器を北東アジアに搬入できる手立ては残しておきたいはずだ。実際、マーク・エスパー米国防長官は中距離核戦力(INF)全廃条約が失効した直後に新型の中距離ミサイルをアジアに配備したいとの意向を示しており[注2]、日本もその候補地に挙がっている。またイランの核兵器開発を阻止する上で最も有効だと考えられる中東非核兵器地帯の創設を米国政府が拒否していることからもわかるように[注3]、非核化や地域の平和より自国の覇権のための戦略を優先するのが米国だ。
本来なら、戦争被爆国である日本政府がリーダーシップを発揮して北東アジア非核兵器地帯を提案し、安倍政権自慢の「強固な日米同盟」を活かしてトランプ政権を説得することを期待したいところだ。11月のローマ教皇来日の際、安倍晋三は日本の総理大臣として各国大使らとの懇談会で挨拶し、
「唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向け、国際社会の取組を主導していく使命をもつ国です。これは、私の揺るぎない信念、日本政府の確固たる方針であります」[注4]
と述べている。その言葉が本物なら、その「使命」を果たす良い機会ではないか。
しかし核兵器禁止条約に反対している現政権に、それを期待することはできない。「強固な日米同盟」と言っても、その実態は日本政府の見境なしの対米従属だ。安倍晋三の「揺るぎない信念」は口先だけで、安倍政権が自発的に北東アジアの非核化に向けてリーダーシップをとることなどないだろう。
冒頭でも述べたように、北朝鮮政府が設定した交渉期限が迫っている。もうこれ以上「リーダー」に任せるのは止めて、市民がその実現に向けて行動すべき時だ。北東アジアに住む全ての人間の生命にかかわる問題であるにもかかわらず、ごく少数の人間にその命運を任せるというのは間違っている。北東アジアの平和を求める市民が、北東アジア非核兵器地帯の必要性を認識し、それを実現するための一大ムーブメントを巻き起こし、各国政府に対して我々の平和への思いを政策に反映させるよう圧力をかける必要がある。
空想的に聞こえるかもしれないが、それが最も確実に社会を動かす方法だ。市民の行動が社会を動かした事例は枚挙にいとまがなく、世界各地で現在繰り広げられている政府への抗議活動に目を向ければ、あえて例示する必要もないだろう。
一つだけ、平和を願う市民に勇気を与える言葉として例を挙げるなら、大企業のための協定である北米自由貿易協定(NAFTA)に抗い、先住民である農家の生活向上や民主主義などを求めて蜂起したメキシコ・チアパス州のサパティスタ民族解放戦線(EZLN)が居住する区域の入り口の看板には次のように記されている。
「ここでは人民が率い、政府が従うことになっています」[注5] (前川大)
注1 12月に予定されていた米韓合同軍事演習が延期されたことを受けた金英哲・朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長の談話(『朝鮮中央通信』日本語版、2019年11月18日)や、ドナルド・トランプ米大統領の「早く行動し合意すべきだ。近いうちに会おう!」というツイートに対する金桂寛・外務省顧問の談話(『朝鮮中央通信』日本語版、2019年11月18日)など。
注2 「Secretary of Defense Esper Media Engagement En Route to Sydney,
Australia」(米国防総省、2019年8月2日)
注3 米国は西アジアで唯一の核保有国であるイスラエルとともに、今年11月に国連で開かれていた中東非核地帯の創設を目指す会議を欠席した。イランとアラブ諸国は中東非核兵器地帯の創設に前向きだが、米国は2012年にフィンランドのヘルシンキで開かれた同様の会議にもイスラエルとともに欠席している。
注4 「ローマ教皇フランシスコ台下との会談等」(首相官邸2019年11月25日)
注5 「You are in Zapatista rebel territory. Here the people command and
the government obeys」(Wikipedia)