2019/12/06

監視報告 No.17

監視報告 No.17  2019年12月6日

§ 日本も世界も朝鮮半島で始まった平和への歴史的チャンスを逃してはならない

 2018年に始まった非核化と平和に向かう朝鮮半島における変化は、2017年に頂点に達した戦争の危機を回避したのみならず、北東アジア全体に新しい秩序を作り出す歴史的なチャンスを作り出した。しかし、1年半にわたって取り組まれてきた米朝交渉の失敗によって、そのチャンスが危機に瀕している。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、米国が「新しい計算法」をもって、昨年のシンガポール合意を履行するための提案を2019年末までに提出するよう期限を設定して要求していた。年末まで1か月を切ったが、米国はそれに応える気配を見せていない。このままでは、千歳一遇の好機を失うことになる。それは日本の市民にとっても大きな損失になるであろう。


北朝鮮による年末期限

 2019414日、北朝鮮の最高人民会議・第14期第1回会議において、金正恩委員長は施政演説[1]を行ったが、その中で次のように年末期限について触れた。少し長くなるが、文脈を想起することが重要なので引用する。

 「米朝間に根深い敵対感情が存在している状況の中で、6.12米朝共同声明を履行してゆくためには、双方が互いの一方的な要求条件を取り下げ、各自の利害に合致した建設的な解決策を見出さなければならない。
 そのためには、まず、米国が今の計算法を捨て、新しい計算法をもって我々に近寄ることが必要だ。
 今、米国は第3回米朝首脳会談の開催について多くを語っているが、我々にとってハノイ米朝首脳会談のような首脳会談が再現されるのはうれしいことではなく、それを行う意欲もない。
 しかし、トランプ大統領がしきりに述べているように、私とトランプ大統領の個人的関係は両国の関係のように敵対的なものではなく、我々は依然として良好な関係を維持しており、思い立ったらいつでも互に安否を問う手紙をやりとりすることもできる。
 米国が正しい姿勢で我々と共有できる方法論を見出したうえで、第3回米朝首脳会談の開催を提起するなら、我々としてももう一度は会談を行う用意がある。
 しかし、今この場で考えてみると、何かの制裁解除の問題のために喉が渇いて米国との首脳会談に執着する必要はないという気がする。
 ともかく、今年の末までは忍耐強く米国の勇断を待つつもりだが、この前のようによい機会を再び得るのは確かに難しいだろう。」(下線は梅林)

 このように、米国がハノイ会談で要求したような一方的な要求ではなく、「新しい計算法」に基づく提案を出すことを北朝鮮が待つ、その期限が2019年末であると、金正恩委員長が述べたのである。


「新しい計算法」とは

 北朝鮮が米国に要求している「新しい計算法」とは何か。北朝鮮の言動から次のように推測することが可能である。

 2019612日のシンガポール共同声明1周年の際に、北朝鮮は外務省報道官声明[2]を発した。その時も声明は「新しい計算法」を要求した。このときに強調されたのは、米国の姿勢は「一方的に我々(北朝鮮)が核兵器を差し出す」よう主張し「米国が自らの責任を果たさない」という米国の姿勢への批判であった。つまり、新しい計算法は、お互いが義務を果たす相互的なものであるべきだという主張である。

 630日に板門店で電撃的な首脳会談が行われ、米朝間の実務者協議の開始が合意された。これによって、実務者協議において「新しい計算法」の中味が具体的に交渉されることが期待された。板門店会談の直前および直後に、米国の北朝鮮問題特別代表スチーブン・ビーガンが、オフレコの会話も含めて記者団に「シンガポール合意を同時的・並行的に履行を進める」準備が米国にあることを述べて注目された[3]。ビーガンの会話の中には、トランプ大統領のビッグ・ディールではなく、スモール・ディールを含む提案が米政権内で議論されていることが明らかになった。たとえば、北朝鮮がすべての大量破壊兵器の完全凍結をする見返りとして、北朝鮮への人道支援や連絡事務所の設置による人的交流の促進などを行う案が出ていることがオフレコで話された。米国務省の報道官も、第1段階の措置として凍結案が浮上していることを否定しなかった[4]。この経過は、米国は「新しい計算法」の中には、北朝鮮が以前から主張してきた「行動対行動の原則」にそった、シンガポール合意の段階的な履行という内容が含まれていると認識していたと考えられる。米国務省にこの理解があるとすれば、それは正しいであろう。

 この「相互的」、「段階的」という要素の他に、北朝鮮の「新しい計算法」には重要な前提的要素がある。それは、冒頭の引用と同じ金正恩の施政演説に含まれている次の認識である。それは、北朝鮮はすでに「核実験とICBM発射実験を中止するという重大で意味のある措置を自主的に講じた」、また、「米軍遺骨の送還」という大統領の要請にも応えた、しかし、米国はこれに見合った自主的な措置を何一つ講じていない、という認識である。核実験の中止には、復元可能との議論を考慮するにしても、核実験場の爆破も伴っていた。これらと比べると、米国の米韓合同演習の縮小や延期は、北朝鮮がとった措置の重大さに確かに見合っていないと考えられる。

 このような議論を総合すると、「新しい計算法」とは、米国が北朝鮮のすでに行った措置に見合う「相当な措置」をまず行うこと、その上に立ってシンガポール合意の履行のために相互的で段階的な措置を積み重ねる方法を意味する、と考えることができる。


ストックホルム米朝実務者協議

 板門店首脳会談後には7月半ばと言われていた米朝実務者協議の開催は、遅れに遅れて105日にストックホルムで行われた。2か月以上遅れた開催である。しかも、準備のための意見交換が重ねられていた形跡も見えなかった。

 むしろ、この期間において、米韓軍事演習「同盟192」の開催(実際には名称変更)や韓国空軍が米国から購入したF35が韓国に到着するなど米韓の軍事行動があり、一方で北朝鮮が多数の短距離ミサイル実験や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を行うなど、米朝間、南北間の両方の関係が悪化し、緊張が増した。

 ストックホルムの実務者協議は、S・ビーガンと米朝交渉北朝鮮代表に選ばれた(キム)明吉(ミョンギル)・巡回大使の両代表が参加して行われた。会議は8.5時間にわたった[5]。会議の直後に北朝鮮は、会議は決裂したと述べ、「米国は新しい提案もなく手ぶらでやってきた」と非難した。米国は直ちに反論し、「米国は創造的なアイデアを携えて臨み実りの多い協議をもった」と述べるとともに「スウェーデン政府の2週間後の再協議の招待を受ける積りだと米国は協議の最後に提起した」と述べた[6]。すると翌日、北朝鮮の外務省報道官は、改めて米国を非難し「米国は米朝対話を政治目的のために悪用しており、何の準備もなく会議に臨んだ」との主張を繰り返した。そして、「米国が北朝鮮に対する敵視政策を完全、非可逆的に撤回するための相当な措置を講じない限り」今回のような交渉をもつ積りはない、と協議再開に厳しい条件を付けた[7]。

 実務者協議はこのように失敗した。

 その後の経過で明らかになるが、北朝鮮は「新しい計算法」の要求を変更し、「敵視政策の明確な撤回」を、要求の言語として使うようになった。「新しい計算法」という実務的な交渉の色合いを排して、「敵視政策の明確な撤回」という政治的交渉へと舵をきったように見える。


「敵視政策の撤回」への回帰

 「敵視政策の撤回」は古くからの北朝鮮の対米要求の基本である。

 ストックホルム会議以後の米朝関係は、年末期限を控えて緊張が次第に高まっている。

 エスパー米国防長官が従来の米韓合同軍事演習(空軍)ビジラント・エースの延期を表明したことに対して、1118日、金英哲(キムヨンチョル)朝鮮アジア太平洋平和委員会委員長(前労働党第1副委員長)は、延期では不十分であり完全に中止せよと要求し、非核化交渉には「敵視政策の完全で非可逆的な撤回」(下線は梅林)が必要であると述べた[8]。トランプ大統領が1117日、金正恩委員長に「早く行動すべきだ、交渉を済ませよう」「すぐに会いましょう」とツイートしたのに対し、金桂寛(キムケグァン)北朝鮮外務省顧問は直ちに反応して「自分たちに何ももたらさない会談にもはや興味はない」「米国は、敵視政策を中止する大胆な決定をしたほうがよい」(下線は梅林)と述べた[9]。

 さらに注目すべきは、金明吉巡回大使の交渉相手である米国のビーガン代表の行動に苦言を呈しつつ述べた発言である。1114日、金明吉はビーガンがスウェーデン政府に米朝協議への仲介を依頼したことに対して、「交渉相手である自分に率直に相談すべきだ」「検討すべき提案があればいつでも会う用意はある」「提案すべき内容がないのに年末期限をやり過ごすための時間稼ぎのためのような会議に応じる意思はない」「自分たちの要求や優先順位については十分に米国側に伝えてあるのでボールは米国の手にある」と主張しつつ、次のように踏み込んでいる[10]。

「もし、米国が、我々の生存と発展に有害な北朝鮮敵視政策を中止するための基本的な解決策を提案せず、状況が変わればいつでも死文と化す戦争終結宣言や連絡事務所の設立のような二義的な問題で我々を交渉に誘おうと考えているとすれば、問題が解決する可能性はない。」(下線は梅林)
 ここでは敵視政策撤回を要求するのみならず、朝鮮戦争の終結宣言や連絡事務所の設置など初期段階の中間措置としてこれまで話題になっていた措置を二義的と否定的に述べ、「敵視政策の撤回」の優先度の高さを強調している。
 以上で明らかなように、ストックホルム会議以降の北朝鮮の要求は「敵視政策の撤回」に見事に統一されている。歴史上最強といわれる経済制裁が敵視政策の最たるものとして暗示されていることは想像に難くない。


日本の課題

 2018年に米朝と南北の首脳会談によって切り拓かれた朝鮮半島の非核化と平和への歴史上またとないチャンスが、失敗に終わるかも知れないという危機的な状況に私たちは立たされている。1120日に開かれた米上院外交委員会における証言において、ビーガン代表は、年末期限は北朝鮮が勝手に設定したものであると述べつつ、「トランプ大統領は金正恩が前に動かす決定をする可能性があるとの見解だ」と、トランプ大統領の見解を紹介している[11]。しかし、南北関係の悪化も加えて考えると状況は楽観を許さない。米朝交渉の失敗は世界にとって大きな損失になる。

 朝鮮半島の非核化と平和の問題は、日本にとってもまた当事者と言うべき問題である。日本は北朝鮮に対して植民地支配に対する謝罪も賠償も済んでいない。朝鮮半島情勢の好転はこの歴史的な懸案の解決のための対話の端緒を開く貴重な機会を生み出すはずである。日本の市民は傍観者であってはならない。

 北東アジアの平和と安定と日朝の歴史的課題の解決のために、日本は積極的に行動し、現在の行き詰まりの打開の道を探るべきである。例えば、日本自身の核兵器依存政策からの転換を含む北東アジア非核兵器地帯の設立を提案し、この地域の協調的な安全保障の枠組みを追求する方針を示すことによって、それは可能である。そうすることによって、米朝交渉のみに依存している現在のプロセスを、より広い枠組みの議論へと転換することができるはずである。(梅林宏道)


1 『朝鮮中央通信』(日本語版、2019414日)。
http://kcna.kp/kcna.user.home.retrieveHomeInfoList.kcmsf 「最高指導者の活動」から、日付で施政演説を探すことができる。
2 国連文書A/73/894S/2019/466
3 「聯合ニュース」(英語版、2019628日)
また、米インターネットメディア「AXIOS」(201973日)(英文)
4 モーガン・オータガス「国務省プレス・ブリーフィング」(201979日、米国務省HP
5 モーガン・オータガス「報道声明:北朝鮮協議」(2019105日、米国務省HP
6 同上。
7 『朝鮮中央通信』(英語版、2019106日)。http://www.kcna.jp/index-e.htmから日付で検索。
8 『朝鮮中央通信』(英語版、20191118日)。http://www.kcna.jp/index-e.htmから日付で検索。
9 『朝鮮中央通信』(英語版、20191118日)。http://www.kcna.jp/index-e.htmから日付で検索。
10 『朝鮮中央通信』(英語版、20191114日)。http://www.kcna.jp/index-e.htmから日付で検索。

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