監視報告 No.25 2020年9月8日
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日本政府は、敵基地攻撃能力の保有に走るのでなく、市民社会に蓄積されてきた北東アジア非核兵器地帯への支持を活用すべきときだ
2020年6月24日、日本政府は、国家安全保障会議(NSC)において、山口・秋田両県への地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」配備計画の断念を決定した。これを受け、イージス・アショアの代替策として「敵基地攻撃能力の保有を求める」議論が自民党内に沸き起こっている。
8月4日、自民党政務調査会は、「国民を守るための抑止力向上に関する提言」[注1]をまとめ、安倍首相に提出した。提言は、弾道ミサイルによる攻撃を防ぐため、「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力の保有を含めて、抑止力を向上させるための新たな取り組みが必要である」とし、敵基地攻撃能力という言葉こそ使っていないが、敵基地の攻撃を含む能力の保有を検討すべきだとしている。
ただ、この議論は今に始まった話ではない。2017年3月、自民党政務調査会は、「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」[注2]で「北朝鮮の脅威が新たな段階に突入した今、……巡航ミサイルをはじめ、我が国としての『敵基地反撃能力』を保有すべく、政府において直ちに検討を開始すること」と述べていた。その後、2018年防衛計画大綱とともに策定された中期防衛力整備計画には、相手の脅威が及ぶ距離の外から対処できるスタンド・オフ・ミサイルの導入が盛り込まれた。具体的には空自戦闘機F-35Aに搭載するJSM、F-15等に搭載するLRASMおよびJASSM[注3]が想定されていた。これらのミサイルを搭載した戦闘機は、装備としては敵基地攻撃能力を持つことになる。これらのミサイルは、2019年から購入が始まっている。しかし2018年防衛計画大綱では、スタンド・オフ・ミサイルの使用目的について、日本の島嶼部などへの侵攻を試みる艦艇や上陸部隊等に対しての使用を述べるに留まり、敵基地攻撃については述べていない。
それに対して、今回の自民党提言は、攻撃対象を敵国領域内のミサイルに関連する固定施設とするなどの方針を明確にしようとしている。提言は「憲法の範囲内で、国際法を遵守しつつ、専守防衛の考え方の下」としてはいるが、装備のみならず、政策や教義、運用において専守防衛を切り崩す意図が働いている。8月の提言を受け政府は、年内にもミサイル防衛体制の強化などを含む国家安全保障戦略の改定をもくろんでいる。
自民党および日本政府によるこれらの動きは、2016年から17年にかけて北朝鮮がミサイル・核実験を繰り返したことを理由としていた。2017年の自民党提言は、「北朝鮮による核実験及びミサイル発射は深刻な脅威であり、昨年の2度の核実験及び23発の弾道ミサイル発射……等、北朝鮮の挑発行為は我が国が到底看過できないレベルに達している」と述べている。その上で、それへの対処として以下の3点の検討を求めた。
1.
弾道ミサイル防衛能力強化のための新規アセットの導入
2.
わが国独自の敵基地反撃能力の保有
3.
排他的経済水域に飛来する弾道ミサイルへの対処
要求された1項の中心が、言うまでもなくイージス・アショアの導入によるミサイル迎撃体制の強化であった。したがって、それを断念した以上、代替として2項の「敵基地反撃能力の保有」論が強力に押し出されることは、ある意味で必然の経過と言ってよい。実際には、提言に「中国等の更なる国力の伸長等によるパワーバランスの変化が加速化・複雑化し、既存の秩序をめぐる不確実性が増している」と触れているように、中国を念頭においた軍事力強化の一環であることも否定できない。
このような自民党提言に根本的に欠けているのは、2018年に始まった朝鮮半島をめぐる大きな情勢の変化への視点である。南北、米朝首脳会談を通じて朝鮮半島の非核化と平和を、外交により実現しようとする歴史的な動きが始まっている。残念ながら動きに膠着状態が続いているが、その停滞を打開して米朝協議を再び動かすために、新しい政治的なモメンタムを作ることが求められている。そのなかで日本の役割は何か、と考えることこそ、日本の地域安全保障政策でなければならない。
このようなときに日本が敵基地攻撃能力の保有に走ることは、2018年に始まったプロセスから日本を一層遠ざける政策に他ならない。さらに、それは日朝の対話の機会をいっそう困難にすることになるであろう。むしろ、この機に必要なことは、非核三原則や専守防衛という戦後日本に定着してきた平和理念を基礎に、朝鮮半島の非核化と平和の動きに合流する姿勢を示すことであろう。
そう考えると、具体的には、北東アジア全域の非核兵器地帯化という構想が、日本政府にとって現実味を帯びた政策案として浮上するはずである。
これまでにこの地域の政府が同地帯を提唱したことはないが、冷戦終結後、多くの研究者やNGOがさまざまな構想を提案してきた[注4]。最近では、長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の積極的なイニシャチブが存在している[注5]。また、梅林宏道が「スリー・プラス・スリー」構想――日本、韓国および朝鮮民主主義人民共和国(DPRK、北朝鮮)が非核兵器地帯を形成し、これに対し周辺の核兵器国である米国、中国、ロシアが消極的安全保証を供与するような6か国条約を作るという構想――を提案したが[注6]、それが分かりやすい構想として、広く知られている。これも含めて、以下に述べるように、日本の市民社会には北東アジア非核兵器地帯の設立を支持する広範な世論が培われてきた。
一般論としてのアジア、あるいはアジア太平洋における非核兵器地帯構想ではなく、具体的スキームを含む北東アジア非核兵器地帯の構想が、日本のメディアに登場したのは、おそらく1995年6月の『朝日新聞』によるエンディコット・グループの研究を紹介する記事[注7]が最初であろう。そこには、朝鮮半島と日本列島をカバーする円形や楕円形の地帯案が紹介されていた。それ以後、日本のメディアには、梅林の「スリー・プラス・スリー」案や金子熊夫・外務省初代原子力課長の別の円形案などの提案を含め、北東アジア非核兵器地帯設立を促す記事や論説が、数多く、また繰り返し登場した。日本におけるほとんどの全国日刊紙と主要な地方紙において、このテーマに関する大紙面を割いた企画記事が掲載されてきたと言っても過言ではないであろう。
記事のみならず、たとえば朝日新聞社は、2005年8月、国際シンポジウム「核なき世界をめざして――北東アジアにおける日本の役割」を主催し、北東アジアの非核化につき政治討論を喚起した。シンポジストであった与党の加藤紘一・自民党議員(元幹事長)は「日本は、アジアの政治に大きな影響力を持っているから、核を持つのは絶対にやめるべきだ。核の傘を抜けてもいいような北東アジアの非核スキームを考えていく」こともありうるとの見解を述べ、野党の岡田克也民主党代表(当時)は、日本と韓国、北朝鮮の3か国が非核地帯となり、米国などが核の先制不使用を約束する「北東アジア非核兵器地帯構想」を提唱した。
2018年以後の朝鮮半島情勢が好転した時期においても、メディアの的確な関心は持続している。2018年8月23日、『朝日新聞』は、社説において「朝鮮半島の対立構造を変える方策が論じられている今、北東アジアの非核化を目標に据えるのは十分、理にかなう」とした上で、次のように書いている。
「4月の南北首脳による『板門店宣言』は、『核のない朝鮮半島を実現する共通の目標』を確認した。6月の米朝首脳の共同声明は、それを再確認した。『非核化された朝鮮半島』に、非核三原則を持つ日本が加われば、北東アジア非核地帯へ発展する地平は開ける。…北東アジアの秩序に変化が生まれる可能性がある以上、日本は率先して非核地帯づくりの発信をすべき時だ。」
メディアの関心と相補う形で、日本の地方自治体においても、北東アジア非核兵器地帯の設立を支持する声が幅広く存在し、持続している。
日本には、長崎市長が会長を務める日本非核宣言自治体協議会(以下、非核協)[注8]が存在するが、非核協は2009年に北東アジア非核兵器地帯を支持するキャンペーンを開始した。キャンペーンにおいて、非核協は「北東アジア非核兵器地帯の創設に向けて」と題するA4版8ページのパンフレットを作成し、自治体職員や市民への啓蒙活動に取り組んだ。そんな中で、非核協と平和市長会議の協力によって、ピースデポなど市民団体が呼びかけた「北東アジアの非核兵器地帯化を支持します」という声明に、日本の自治体首長の546名が署名するにいたった(2016年末現在)。
毎年8月6日と9日に出される広島、長崎市長による平和宣言は、日本政府に対して、北東アジア非核兵器地帯の設立を検討するようしばしば要請してきた。とりわけ、長崎市長は、2018年の平和宣言において、米朝協議が始まったという新たな情勢を受けて、以下のように訴えている。
「南北首脳による『板門店宣言』や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する『北東アジア非核兵器地帯』の実現に向けた努力を求めます。」
先に紹介した『朝日新聞』の社説は、この訴えに呼応して書かれている。
宗教者の間に広がっている支持の動きも記録しておくべきであろう。2016年2月、4人の宗派横断的な宗教指導者が呼びかけ人となり、「私たち日本の宗教者は、日本が『核の傘』依存を止め、北東アジア非核兵器地帯の設立に向かうことを求めます」と題する声明[注9]を発表し、宗教者の間での支持の拡大を図るとともに、日本政府に政策検討を要請した。
このような市民社会における関心の高まりと持続が、日本政府の政策にほとんど反映されないことは、日本の民主主義の深刻な欠点として、しばしば指摘されてきた。しかし、少なくとも日本の外務省の政策検討プロセスにおいて、北東アジア非核兵器地帯に関する認識に変化をもたらしてきたことを確認しておくべきであろう。
日本の外務省は、2002年から「日本の軍縮・不拡散外交」というある種の外交白書を数年ごとに刊行している。2008年発行の第4版までは、世界に存在する非核兵器地帯に触れながらも北東アジア非核兵器地帯の構想については一言も触れていなかった。それが、2011年発行の第5版になり、ようやく初めて北東アジア非核兵器地帯について言及した。「日本を含む北東アジア非核兵器地帯を設立する計画については、……北朝鮮の核問題を解決するための努力が最初になされるべきと考えている」と述べ、否定的ではあるが構想の存在を認めたのである[注10]。次の2013年の第6版ではさらに変化が現れた。「近年、日本、韓国及び北朝鮮が非核兵器地帯となり、これに米国、中国、ロシアが消極的安全保証を供与する3+3構想が、一定の注目を集めている」と初めて「3+3」構想に言及した[注11]。とはいえ、「(北東アジア地域においては)非核兵器地帯構想の実現のための現実的な環境はいまだ整っているとは言えない。…まずは北朝鮮の核放棄の実現に向け、努力する必要がある」と従来と同じ時期尚早との認識を示した。この内容は、2016年の第7版においても引き継がれている[注12]。
このように、外務省は、「実現のための現実的な環境はいまだ整っているとは言えない」と述べて、北東アジア非核兵器地帯構想に否定的な態度をとってきた。しかし、2018年にその「現実的な環境」が大きく変わった。日本政府が環境をよりよい方向に動かす役割を担う余地が、新しく生まれている。
この時期に、「敵地攻撃能力の保有」を持ち出すことは政治的な大きな誤りであろう。冒頭で述べたように、敵地攻撃論は、北朝鮮の核・ミサイル開発に対する対抗構想として登場し、論じられてきた。米朝交渉が行き詰まる中で、2019年5月以来、北朝鮮の短距離ミサイルの実験が繰り返され、日本にとって脅威の状況は変わっていないという議論があるかも知れない。しかし、米朝、南北の対話の再開があれば、日朝をとりまく環境だけが悪いまま不変であるという議論は成り立たない。むしろ、現在は行き詰まっている対話の再開について、日本が果たすべき役割を検討することが、ミサイルの脅威を減じる現実的な道である。そのことによって拉致問題を含め、日朝間に存在する諸懸案の解決に向かって、新しい展望も開けると考えられる。
このような観点から、前述した2018年の長崎市平和宣言や『朝日新聞』の社説の指摘には傾聴すべきものがある。日本政府は、市民社会に蓄積されている北東アジア非核兵器地帯の設立を支持する世論を、今こそ行き詰まり打開のために活かすべきである。
(湯浅一郎、梅林宏道)
注1 自由民主党政務調査会「国民を守るための抑止力向上に関する提言」(2020年8月4日)。
注2 自由民主党政務調査会「弾道ミサイル防衛の迅速かつ抜本的な強化に関する提言」(2017年3月31日)。
注3 JSM=Joint Strike
Missileの略称。対艦/対地/巡航ミサイル。JASSM=Joint Air-to-Surface Standoff Missileの略称。長距離空対地巡航ミサイル。LRASM=Long Range Anti-Ship Missileの略称。長距離対艦巡航ミサイル。
注4 長崎大学核兵器廃絶研究センター「提言:北東アジア非核兵器地帯設立への包括的アプローチ」所収ボックス3「北東アジア非核兵器地帯への諸提案」参照。
注5 長崎大学核兵器廃絶研究センター「北東アジア非核兵器地帯設立への包括的アプローチ」。
https://www.recna.nagasaki-u.ac.jp/recna/comprehensiveapproachtoestablishinganortheastasianuclearweapon-freezone
注6 Hiromichi Umebayashi: “A Northeast Asia NWFZ: A Realistic and Attainable Goal”, INESAP (International Network of Engineers and Scientists Against Proliferation)
Conference, Gothenburg, Sweden, May 30-June 2,1996。
なお、北東アジア非核兵器地帯に関する包括的な解説として、梅林宏道「非核兵器地帯」(岩波書店、2011年)がある。
注7 『朝日新聞』1995年6月13日。
注8 非核宣言自治体が宣言実現のための自治体間協力を目的として1984年に設立した。2020年4月現在、342地方自治体で構成。
注9 4人の呼びかけ人は、小橋孝一(日本キリスト教協議会議長)、杉谷義純(元天台宗宗務総長、世界宗教者平和会議軍縮安全保障常設委員会委員長)、高見三明(カトリック長崎大司教区大司教)、山崎龍明(浄土真宗本願寺派僧侶)。肩書はいずれも当時のもの。
注10 外務省「日本の軍縮・不拡散外交」(第5版)(2011年3月)、p.71。
注11 外務省「日本の軍縮・不拡散外交」(第6版)(2013年3月)、p.42。
注12 外務省「日本の軍縮・不拡散外交」(第7版)(2016年3月)、p.59。